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「ポッタリアン情報局」分室。 今後はこちらを中心に更新していきます。 原書購読奮闘記のログ、コメント、その他のコンテンツも順次こちらに移行する予定です。 各記事にコメントをつけられますので、ぜひ、どうぞ。 お待ちしております。
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ハリー・ポッターを知ったのはいつ頃だっただろうか。 訳本の発売が 1999年暮れ。 その頃既に英国では大ベストセラーで、日本では最初からそれなりに宣伝していたのだと思う。 はっきり記憶はしていないが、2000年の前半にはその噂は私の耳にも入っていた。 「大人も楽しめるファンタジー」…そんな触れ込みだったと思う。

子供の頃、魔法使いや魔女が出てくる児童向けファンタジーは手あたり次第読んでいた。 「ハリー・ポッターと賢者の石」がベストセラーになっている、という噂を知ったとき、読みたい!という気持と、読んでがっかりしたくないという気持ちが半々。 …というのは、ファンタジーに限らないが、どーも最近の話題の本や評判の良い本にはがっかりさせられることが多いからだ。 そんなわけで、すぐには手にとらず読むこともなかった。 重い腰を上げてようやく購入に至ったのが噂を知ってから数ヵ月たった夏の頃(もちろん訳本)。 しかし、相手はハードカバーであるうえに、厚みもなかなか。 本を読むこと自体は全く苦にならないが、この本を持ち歩くのは「苦」だ。 とはいえ、電車の中くらいしか読書の時間はとれない。

子供のころは、ハードカバーの厚い本を持つのも平気だったし、本を読む時間がない、なんてことはなかった。 あの頃は良かった…。
そんなわけで、ようやく読む機会が訪れたのは、9月に入ってからだったと思う。 通院の待ち時間を利用して読むことにした。 (この通院も延ばしに延ばした挙げ句、やっと行くことにしたというおまけつき。) 病院、それも大きくなれば大きくなるほど待たされるもので、本を読むには絶好の時間だ。

ページをめくると、最初から、マント(ローブ)姿の魔法使いが出て来て、ワクワクさせられる。 とはいっても、カタカナの固有名詞が多いのと、なかなか物語の核心に入っていかないので、読みにくい一面もあった。 それでも、病院での待ち時間を利用して読んでいたため、他にすることもなく、前半を読み進めていった。 最初にびっくりしたのは、いじめっ子ダドリーの描写だ。 最近書かれた本で、いくらいじめっ子とはいえ、ここまでひどく悪く書いたものがあるだろうか。 最近の、特に子供向けのお話は、寝た子を起こさない主義なのか、平和博愛主義なのか、良いヤツと悪いヤツをはっきりかき分けているものが少ないように思う。 昔話や外国の童話でも、残酷なシーンはソフトに書き換えられているのが常だ。 放送禁止用語や「ちびくろサンボ」絶版騒動についても似たようなことが言えると思うが、ことなかれ主義もいきすぎると本質を見失ってしまうように思う。 とにかく、これだけ悪く書いてくれると、逆にスカッとした気持ちになれる。 いじめっ子が存在することにより、親がいない、という以上にハリーの境遇は不幸になる。 この辺りは、「小公女」「小公子」「家なき子」「家なき少女(ペリーヌ物語)」でも押えている基本だ。 「ハイジ」、「フランダースの犬」のネロ、「赤毛のアン」、「あしながおじさん」のジュディ…、みんな親を失っている。 「オリバー・ツイスト」だってそうだ。 「母をたずねて三千里」のマルコは孤児ではないが、いなくなった母親を捜して一人旅をする。

映画ではいじめられている描写が、原作本よりかなりソフトだったように思う。 その為か、動物園の爬虫類館でいじめっ子のダドリーが蛇の方に落ちてしまうシーンでハリーが笑うのが残酷だ、という声があるようだ。 しかし、ダドリーのいじめぶりやダーズリー家での扱われ方を考えると、あのシーンでニコっとするくらい いいではないかと思う。

いじめの元凶のダーズリー一家は、物語の前半でひとまず姿を消す。 物語の舞台がホグワーツ魔法学校に移るからだ。 いじめの質はだいぶ違うのだが、またまたいじめっ子ドラコ・マルフォイが活躍する。 後で仲良しになるハーマイオニーですら、最初は敵か仲間かよくわからない存在だ。 そして、怪しげな先生も何人か登場…。 この辺りもカタカナの固有名詞や呪文のオンパレードなので、なかなか読んでいて辛いところかもしれない。 が、「賢者の石」のミステリーに突入するのだ。 謎が謎を呼び始めると、止まらない。 一字一句読んでいるのがもどかしく、読み飛ばしてしまうくらいの勢いで読んでしまう。 が、どの一字一句に謎のヒントが隠されているかわからない。 この辺りまで読み進めると、止まらないのではないだろうか。 何もかもほったらかして読むしかない。 実際も私もそれに近い状態だった。

スネイプ先生はあからさまに怪しい。 こういうあからさまに怪しい人物は絶対に犯人ではないのが、物語の常だが、それにしても理由もなく怪しいわけはない。 その辺もきちんと説明してもらわないと収まらない。 実際きちんと説明されてしまうのだが、その謎解きは鮮やか。 本当に最後の最後までミステリーの謎の緊張の糸が解けないのは凄いと思う。 謎が明らかになるまで油断はできないのだ。

一日で読み終ってしまった。 何も難しいことを考えずに素直に楽しめる作品(本)に出会ったのは久しぶりだった。 ストーリーの骨格はおそろしく古典的だと思う。 だからこそセオリー通りで面白い。 「どこかで読んだような設定」という批判もあるようだが、だからと言って、盗作というわけではない。 読み継がれている作品、指示される作品にはどこかしら類似性があるものだ。 どことなく流れるクラシカルな雰囲気も魅力の一つだろう。 物語の舞台は時間的には現代だが、並行する魔法界は、中世…そこまでいかなくても前世紀的な雰囲気だ。 しかも学校はお城。 「古き良き時代」に憧れる気持をうまくくすぐる。 (実際には、現代の方が暮らしやすいのだろうけど。) 善と悪がはっきりしていて、双方が闘うというわかりやすい構図。 しかも悪は善から分かれて悪になったという…まるで「スター・ウォーズ」のダースベイダー?(笑) 実世界において戦争は歓迎されるものではないが、 物語の世界においては、戦いは読者に歓迎される。物語だからこそだ。 ファンタジーだからこそだ。

セオリー通りで古典的なだけではない。 魔法使いの箒に「ニンバス2000」といったようなブランドや最新型があるのが面白い。 うまく現代人の心をくすぐっていると思う。 また、ハリーの学校生活はマグル界(人間界)での学校生活に通じるものがある。 英国人が読めば、とても身近なものに感じられるのだろうし、英国以外の外国人には、一種のあこがれのように映るのではないだろうか。 私の想像だが…。

そして、ミステリー…謎解きの要素がとてもよくできていると思う。 推理小説的な楽しみ方ができるのが大きな魅力な上に、読者の想像の裏切り方は鮮やかだ。 もちろん、魔法の世界でのことを描いているので、推理小説のように謎解きの材料がすべて読者に与えられているとはいえないのだが。それでも、伏線といえる描写はあちこちにちりばめられている。

映画、本、共通で言われていることだが、主人公ハリーのヒーロー性が乏しく感情移入しにくいという意見がある。 これにはなかなか反論しにくいものがある。 映画では、魅力的な子役の起用と演出(演技より雰囲気)でカバーしたが…。

確かにハリーは努力家というタイプではない。 生まれながらにして優れた魔法使いの資質を持っているがために、ハリーが努力する以前に箒を乗りこなしてしまい、クィディッチのシーカーの座を得て活躍する。 いじめという意味では苦労しているが、それ以外では人一倍苦労したり努力しているとは言い難い。 最後の戦いも、意外にあっさりと勝利してしまう。 …というか相手が勝手に負けた、というべきか。 未知のものに向かう好奇心というのは、なかなかのものだが、ハリー特有の資質ではないだろう。 一方、ネビルの思い出し玉をいじめっ子ドラコから取り返そうとする正義感があるが、その正義感はどこで培ったものだろうか。 ハリーの境遇から考えて、理不尽ないじめは許せないのかもしれないが、あそこまでまっすぐ素直に育つかどうか少々疑問を感じなくもない。

非常に私的にヒットした作品だった。 他人の好みはわからないが、とても面白いし、巷の話題作なので、読後、すぐに他の人にも勧めた。 が、反応が鈍く、布教は挫折。 その後、映画公開で布教するまでもなくさらなるブームがやってくる。

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