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「ポッタリアン情報局」分室。 今後はこちらを中心に更新していきます。 原書購読奮闘記のログ、コメント、その他のコンテンツも順次こちらに移行する予定です。 各記事にコメントをつけられますので、ぜひ、どうぞ。 お待ちしております。
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ちょっと辛口かも。 でもこの5巻を楽しめなかったというわけではありません。

Harry Potter シリーズ1〜5巻までの中で、この5巻目が一番好きだという人は、 私も含めておそらくいないのではないか、と思います。 ちょっと言葉は悪いですが、1〜4巻までの積み重ねがないと読めないシロモノ。 これまでわからなかったいろいろな謎や、インタビューなどで著者のローリングさんが 明らかにしてきたことが、この5巻に盛り込まれています。 ですので、有耶無耶していたことがスッキリはします。 でも、それは1〜4巻を読んでいたからこそ、その部分を面白いと思えるのです。 そういった要素を取り除いてしまうと、5巻にはいったい何が残るでしょう?

怒れる若者

ハリーは最初から怒っています。 そして始終、怒っています。 そして、ヴォルデモートの罠にはまり、他人を巻き込んでしまったのは、 自分のせいだと、自分に対しても怒りを感じます。 怒りを感じるのは決して悪いことではありません。
では、ダンブルドアの説明で、ハリーはこの怒りを静めることができたでしょうか? 怒りを自分の成長の糧として昇華することができたでしょうか? それについては疑問を感じます。 この5巻を通じて、ハリーはいろいろなことを体験しましたが、ハリーが成長した、 ということを感じられないのです。 怒りを感じるのは OK です。でもずっとそのままでいいのでしょうか。 1年間の体験を通して、すぐに成長しろ、っていう方が、現実的には無理な話ですが、 物語としては完結しません。

ハリーが体験を通して脱皮できるのは、今後の6,7巻に見送りです。 続編が続くとものと思わなければ、5巻の終り方は、満足できるものではありません。 4巻までの積み重ねがないと読めないだけでなく、6巻以降の続きが約束されていなければ、 やはり読めないシロモノと言わざるを得ません。 (幸い続きは約束されているようなものですが、今度は、何年待てばいいのでしょう?) そのわりには、4巻のように、続きが気になるようなスリリングな終り方をしているわけではなく、 物足りなさが残るだけです。

ヒーローの不在

クライマックスで戦いが繰り広げられますが、ハリーはヒーローになれたでしょうか? 前作まででも、ハリーのヒーロー性が乏しい、という批判はありましたが、 5巻ではハリーのヒーロー性は0と言ってもいいくらいです。 友人や応援の大人が次々と倒れる中、ハリーが重傷を負うことなく戦いを切り抜けられたのは、 敵に生かされていた、という面があります。 prophecy のため、ハリーは無事だったのです。
そして、ハリーが罠にはまらなければ、この戦いはなかった、とも言えます。 ダンブルドアは、自分の落ち度だとハリーをなぐさめます。 仮に、ダンブルドアのせいだとしても、無益な戦いであることには変りありません。 魔法省…というかファッジが目を覚ましたという、進展はありますが、 それにしては犠牲が大きいように思います。
こんな戦いを切り抜けたとして、ハリーをヒーローと言えるでしょうか。

物語を彩るキャラクター達

一方、今回、株をあげた(そして、主人公に勝る活躍をした)のは、 なんといっても双子ではないでしょうか。 私は、特に双子のファン、双子びいきではなかったのですが、 この5巻での活躍には惚れ惚れしました。 時には頼れる兄貴のようでもあります。 自分達の夢を追ってしっかり地に足をつけた感じがなかなか良いです。 そして、最後に、帚にまたがり颯爽とホグワーツを去って行く姿、目に浮かぶようです。

そして、ネビル。 今回はほんと底力を見せてくれました。 ネビルの頑張る姿には、心を打たれるものがありました。

ジニーも株をあげた登場人物の一人でしょうか。 さりげなく、成長を感じさせられますね。

幸先良かったロンは、クィディッチのスリザリン戦でプレッシャーに負け落ち込みましたが、 その後のレイブンクロー戦でしっかり克服しています。
お馴染みのキャラが、それぞれ成長を感じさせるだけに、 ハリーが怒るだけに終始しているのがくっきりと浮かび上がってきてしまいます。

新しく登場したのは Luna Lovegood ですが、章タイトルにまでなったわりには、 本当に必要な人物だったのかどうかやや疑問を感じます。 そんなことはないでしょう、とおっしゃる方もいらっしゃると思いますが、 Luna がらみの部分をばっさり切り捨てる、あるいは、別のキャラに置き換えるなどしても 物語の大筋に影響はないと、私は思うのですが。大胆すぎます?

Tonks も新キャラでした。 本当に必要必須なキャラ?という点では、Luna と同じようなものを感じますが、 章タイトルという看板を背負っていないだけ、そんなものかな、とも思えます。 ただ、Metamorphmagus という性質は、わざわざページを割いて説明するほどのものだったかは 疑問を感じます。普通の魔女ではいけないの?
後述のヤングアダルトのハリーを描き出すにあたっても、 重要な役割を果たしているとは思えません。
Luna も Tonks も今後6,7巻でさらに活躍する場があるのでしょうか。 もしそうだとすると、やはり、この5巻は全7巻の通過点という印象がさらに強まることになります。

株を大きく下げたのは、チョー・チャンですね。 彼女は、ほっておいてももてるタイプなのでしょう。 エキゾチックで、小柄で、外見も仕種も声もしゃべり方も表情もかわいくて…(←私の想像も入っています)。 ハリーと急接近し、ハリーを支持したのは、 ハリーがセドリックの最期を見たただ一人の人物(デス・イーター以外)だったから。 彼女の興味は、ハリーというよりはセドリックにあったわけです。 もちろん、セドリックを凌いで優勝したハリー自身にまったく関心がなかったとは思いません。 ただ、その場合でも、セドリックとの比較対象なのです。 こう言ってしまうと、彼女が計算高いようにも思えますが、セドリックの死に動揺したのは彼女も同じ。 悪気はなかったと思います。
ハリーとチョーの様子は随所に出てきます。 当然そういう年頃ですが、物語の本筋とうまくからんでいないように思います。 描写も単純。チョーの手をスニッチに見立てたところが笑えたくらいで(笑)。 チョーはハリーより年上の設定ですが、言動の幼稚っぽさはハリーと同程度。 壊れるべくして壊れたとも言えます。
ハリーの両親のジェームスとリリーがつきあうようになったのは7年生になってから、と いう話が出たとき、ハリー&チョーの線はなくなったな、と思いました。 もともとこのペアを応援する気はまったくなかったので、どうでもいいことですが。

さて、五巻のキーパーソンといえば、アンブリッジ。 強烈な方でした…。 でも、結局のところ、彼女の本当の狙いはどこにあったのか、どういう戦略だったのか、 いまいち不明。 ハリーに意地悪する役としてはうまくできていましたが、アンブリッジ自身が、 敵キャラの中にも魅力を秘めているような役ではありません。 この方に関しては、五巻中にギャフンという目に遭ってくれてホッとしました。

そして、屋敷しもべ妖精の Kreacher もちょっと注目すべき存在でしょうか。 彼はハリーに、シリウスはここにはいない、と言います。 それは嘘だったのですが、それをなぜ見抜く、あるいは可能性として 考えることができなかったのでしょうか。 読者の立場からみても、充分怪しかったのですが…。 彼は主をなくしたあわれな屋敷しもべです。 ある日突然(?)現れた新しい主に、快く仕えていたわけではありません。 その様子は見てとれました。 嘘つき、と片付けてしまうのは簡単ですが、むしろ、 どちらかといえば犠牲者のように思えてなりません。 それゆえ哀れなものを感じます。

迷う大人達

怒り、とまどいを感じるのはハリーだけではありません。 「〜秘密の部屋」の時にもその兆しはありましたが、今回、Umbridge という人物が登場することによって 大人達 … ホグワーツの先生達も怒りやとまどいを覚え、その態度をあらわにしてしまいます。 そして最後には、ダンブルドアでさえ、ハリーに「弱さ」を見せてしまうのです。 権力と正義は必ずしも一致しない、そんなことは今までにもあったことですが、 今回はそれが大きく陰を落としてきます。 不条理なものを含む大人の世界…そんな世界を垣間見せられ、ハリーは大いに困惑します。
権力に巻かれるパーシーという人物はなかなか面白い見本の一つかもしれません。
そして、自ら大人になることを拒否しているような大人ともいえるシリウス。

正義だからといって、常にそれを再短距離で通すことはできない、 そんな不条理さが描かれているのもこの5巻の特徴でしょう。 正しいと信じて努力してもすぐ結果に結びつかないもどかしさ、 屋敷しもべ妖精の件でハーマイオニーが4巻で一早くそのような体験をしています。 善悪に簡単に塗り分けられない世界…。
「〜賢者の石」「〜秘密の部屋」で言われた、勧善懲悪の物語、というレッテルは もうあてはまりません。

さらに、ハリーは、自分の父親に対して抱いていたヒーロー観を砕かれます。 完璧な人間はいない、と当たり前なことなのですが、ハリーはショックを受けます。 大人の世界にも完全無欠なヒーローは不在です。

タイトル

The Order of the Phoenix というタイトル、日本語では「不死鳥の騎士団」となるようですが、 物語の展開と少しずれているような印象を受けます。 内容から考えると Harry Potter and The Prophecy という感じですが、これでは、 ややネタばれの上に、シリーズのタイトルを並べた時に音節が足りなくてゴロが悪いですね。

舞台

今回、新たに加わったのは魔法省ですが、舞台装置として地味。 派手さ満載だった4巻の後だけに、この地味さが凡々とした印象を与えてしまいます。 地味だから悪いというわけではありませんけどね。

ディテール

そして、長さ。 これだけ長い物語があっていけないということはないのですが、 もっと簡潔にまとめる工夫をしてもいいのではないでしょうか。

この5巻が、全7巻のストーリーの中で通過点的な役割を果たすとしたら、 通過点としてこのヴォリュームは長すぎるように感じるのです。
読者の疑問に答えるべく、ディテールをかなり書き込んでいるように 思われるのですが、終始、説明に徹しているような印象を受けます。
授業の描写が続く12〜15章はかなりだれた感じがします。 単行本を読んでいるより連載ものを読んでいるような気分。 映画ではなくシリーズドラマ。 そんな印象を受けます。 もう少しメリハリが欲しかったかな、と。
映画と言えば、映画公開後に初めて出る新作が、この5巻なので、読者の数は それまでよりかなり増えていると想像できます。 そして、その読者からよせられる質問、疑問もたくさんあるのでしょう。 それらに、著作を通して答えようという努力があったのではないか、 と思うのですが、それが、物語のまとまりとして足を引っ張ってしまったよう に感じられてなりません。 マニアックな研究対象としては面白いのですけどね。

…と、文句をたくさん書いてしまいましたが、ローカルにはとても面白いのです。 3年かけて、文章一つ一つに推敲吟味を加えたのだろうと思うくらい、その場面、場面は 楽しめます。

ヤングアダルト文学としての Harry Potter

この5巻を一言で言うならば、ヤングアダルト文学、という言葉が一番 しっくりくるのではないかと思います。 子供でもない、大人でもないヤングアダルトのハリーを、とてもうまく 描き出していると思います。 そして、そのハリーをとりまく、必ずしも完璧ではないたくさんの大人達 (苦悩も見せるダンブルドア、母親としての心配を露わにするウィーズリー夫人、 父親としてのウィーズリー氏、そしてスネイプ、シリウス…)、 権力に巻かれるパーシー、 自分達の夢に向かって颯爽と羽ばたく双子、 着実に前向きに進んでいる親友ロン…、その対比は見事です。 そんな人々に囲まれ、そろそろ自分の将来について真剣に考えるべく、 進路指導、OWLテストと続くのです。
シリウスはゴーストにはなりませんでした。 まず、シリウスにとってこれは良かったことだと思います。 どこか大人になりきれていなかったシリウスですが、思いを残すことなく、 この世を去っていくことができたのは、シリウスにとって一皮向けたと 言えるのではないでしょうか。
その事実を、ハリーは納得しているようには思えません。 今はまだ悲しみの方が大きくて、この悲しみを乗り越えればそれが自分の成長につながるのに、 その壁を越えるのを拒否しているような印象すら受けます。 もちろんハリー自身は、悲しみを乗り越えることが自分の成長になるとはまだ気付いていません。 でも、いつかシリウスの死を理解することができるようになったとき、 ハリー自身が成長して一皮向けることができるのではないでしょうか。 (私はハリーではないので、こんなことが簡単に言えちゃいますが)
この5巻で、ハリーは大人になる通過点として必要な体験を、 いろいろと経験したので、今後、どういう人生を自分で選び取っていくか、 宿命にどう立ち向かっていくか、期待は膨らみます。

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読んだ後、こんなに重たい気持になったのは、「ハリー・ポッター」シリーズ初めて。 その理由はいくつか考えられますが、まず、物語がまったく完結していないということ。 3作目「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」も、一応物語は収束しているものの、問題を残しているという意味では完結していませんでした。 ところが、4作目「〜炎のゴブレット」では収束したかに見えて、むしろ風呂敷が広げられた形で物語が終っています。 シリウスは何のために、ルーピンの所へ行くのか。 ロンのお父さんのウィーズリー氏が魔法省の問題にどう関わっていくのか。 屋敷しもべ妖精の奴隷(!)問題は何ら進展していないが、ハーマイオニーはどうするつもりなのか。 ハーマイオニーの中ではどうなっているのか。 そして、何より、ヴォルデモートは、どう活動を開始するのか。

ここで振り替えって見ると、 1作目「ハリー・ポッターと賢者の石」は全ての物語のほんの序章に過ぎませんでした。 1作で一応完結していて、かつ、そのまま終ってしまっても通用する結末は、スター・ウォーズの最初の作品とある意味、似ています。 2作目、3作目は、その先にくる作品としての位置づけ。 完結しているという意味では、2作目「ハリー・ポッターと秘密の部屋」は一応、事件の解決をみて終結しています。 3作目「〜アズカバンの囚人」になると、謎解きは明かされたものの、後の物語に決着と解決を先伸ばしていて、事件が解決したとは言い難いです。 そして謎解きの説明が長いのが、難点と言えば難点かもしれません。

4作目「〜炎のゴブレット」は、2、3巻のすべてが伏線といってもいいくらい複雑に物語が組み立てられているように思います。 『炎のゴブレット』というアイテムについては、結局それだけだったか…という感じで少々残念ですが…。 手を替え、品を替え、過去の経緯を物語に織り込んでいますが、やはり説明部分が長いのが、難点と言えば難点かもしれません。 ヴォルデモートの復活と忠誠の儀式がやたら長く、冗長と言えなくも無い部分ですが、それだけに恐怖が演出されています。

広がった風呂敷をまとめるべく、これから、5、6、7巻と物語が進んでいくことになるのでしょう。 とにかく、このままでは、ヴォルデモートが心配で心配でしょうがないので、早く次が読みたいものです。 …となると、あとは1本の糸を辿るように物語が進むのか、と想像していますが、お楽しみですね。

重たい気持ちになった他の理由として、児童向けとは言えないくらい、残忍な場面が描かれていることが挙げられます。 それも詳細に描写されているわけではなく、むしろあっさりとあっけなく綴られています。あっけないだけに、後からズシリと心に染みてきます。 あいかわらずハリーはヒーローではないのですが、運命に翻弄される主人公だからこそ等身大に感じられるのではないかと思います。 運命に翻弄されつつも、一方では、14歳らしい悩みやとまどいを感じています。 「自分達と同じじゃない」と思う部分と、「魔法界ならではのドキドキワクワク」が縦糸と横糸のように自然に織り合わされている、それが物語の魅力なんだと思います。

追記 雑感

読後も後をひきずるのがこの4巻。 3巻目までも、間接的に「死」は語られていました。 「〜炎のゴブレット」では初めて直接的に「死」の場面が出てくるから、重たく感じられる…そう言ってしまえばそうなのかもしれません。 「死」というよりもむしろ「殺人」です。 でも、それだけではないような気がしてずっとひっかかっていました。

冒頭のフランクの死は強烈です。 なぜそれだけのことで殺してしまうのか、読者にハラハラさえる間も与えず終止符を打つだけにヴォルデモートは残忍です。 そして、終盤で描かれるセドリックの死。 セドリックの横にはハリーがいました。 つまりハリーを殺すことだって、ヴォルデモートにとっては簡単なことだったのです。 それまでも、九死に一生を得てきたようなハリーでしたが、読者はどんなにハラハラさせられても、ハリーは主人公だから絶対死なない、という気持があったはず。 ところが、このセドリックの死では「もしもその杖の先がハリーに向いていたら」と思わずにいられません。 また、ヴォルデモートの手先は学期始めからずっと約1年近く、4年生のハリーを殺そうと思えばいつでも殺すことができたのです。 ハリーの命は敵の手の内にあった…これは、ハリーが死ぬという展開と同じくらいの衝撃です。 これが、重たさの原因ではないかと…。

現実の世界でも、死は常に隣合わせにあると言えるものですが、そのことを再認識させられます。

2冊め「ハリー・ポッターと秘密の部屋」読了後から待たされること約10ヵ月。 一刻でも早く読みたいので、発売日に入手しそこなかったら悲劇だ。 予約しようかどうしようか迷った挙げ句、結局予約しなかったが、発売日に難なく入手することができた。 …のわりには、3作目は読むのに1週間もかかってしまった。 何もかもほったらかしにできるほどの時間的な余裕がなかったのが最大の理由だ。

2度あることは3度あるわけで、ハリーは再びダーズリー家で、つまらない夏休みを過ごしている。 「宿題をやりたいのにやらせてもらえない…」の下りは思わず笑ってしまう。 そして、また、ダーズリー家で事件は起き、ハリーは学校に戻れないのではないかと絶望しかける。 が、そこはちゃんと救世主(!)が現れるという仕掛けは同じだ。 それでも飽きないよう豊かなストーリーになっているのは素晴らしい。 3回目のハリーの敵は意外に早く明らかになる。 明らかになる、といっても得体がよく知れないのは同じ。 それに加え、新たな登場人物がストーリーに彩りを添える。 誰が謎を解くキーになるのか、興味をひきつけられる。 そして、魔法界にまつわることも新たにいろいろ語られ、奥行きが広がる。

活躍するのは新しい登場人物ばかりではない。 2巻目では活躍度がいまいちだったスネイプ先生が、再び意地悪な雰囲気とさらなる謎を漂わせる。

興味をひきつける要素はいろいろあるのだが、肝心の敵はなかなか捕まらず、ストーリーはなかなか核心まで進まない。 飽きさせることはないが、ぐぃぐぃと先に引き寄せる吸引力には、前半はやや欠けるかもしれない。 が、後半は読み出すと止まらない。 クィディッチの試合の描写は、文章に躍動感がよく表れていると思う。 ハラハラドキドキ、そして読み進めずにはいられない。 スネイプ先生によってハリーがピンチに陥りかける場面は、ハラハラものだ。

期末試験で占いのトレローニー先生が謎の予言をした後、事件は急転回して謎の解明に向かう。 例によって例のどんでん返しで、ほとんど説明に終始している章が続く。 この説明の量は半端ではなく、説明に終始している為クライマックスとしては、ややインパクトに欠けるようでもあるが、読み進めずにはいられない。 ところが、謎解きがクライマックスではないのだ。 つまり、謎が解明されて一安心といかないのが、またもどかしい。 複数の事件が複雑に関係しあい、からみあい、とりあえずの解決策に向かうところは、再び、冒険活劇のような展開でドキドキハラハラする。 すべては、この最後の冒険活劇への伏線だったのだ。 続巻に望みを託し、3作目の物語は終る。

単純にハッピーエンドとは言えないところが、この「〜アズカバンの囚人」のストーリーの辛いところだが、ここまできたら、これ以降の話に期待するしかないし、また充分期待させられるだけのものを、3作のストーリーが物語っている。 繰り返しになってしまうが、良い意味で、読者の予想を裏切る手腕には舌を巻く。

雑感

ルーピン先生はなぜホグワーツ特急に乗っていたのだろう…。

1冊目「ハリー・ポッターと賢者の石」を読み終った直後から次を読みたくてたまらない。 発売間もない2作目(訳本)をすぐに買いに行った。 (実際には数日の間があったと思う。) 「〜賢者の石」の時と同じように、通院の待ち時間を利用しての読書。 もちろん待ち時間だけでは読み終えることは出来なかったが、すべてをほったらかして読み続けて、やはり1作目同様、一日で読破してしまった。

自分が魔法使いであることを知り、ホグワーツの寮で暮らすようになり、ハリーの生活は一変した。 ハリーは薔薇色(!)の日々を過ごしていると思いきや、夏休みに帰る所はプリベット通りのダーズリー家。 そして、ダーズリー夫妻はハリーの保護者なのだ。 魔法学校の生徒はホグワーツの外で魔法を使ってはいけないこともあり、以前とほとんど変わらないつまらない日々をハリーは過ごしていた。 薔薇色(!)街道を上昇しているだろうという期待を見事に裏切り、話は振り出しに戻る。 いきなりホグワーツ行きの特急に乗るところから話を始めないところが、うまいと思う。 2年生では何が起きるのか?という期待の持たせ方も上手だ。 最初に出てくる登場人物は「〜賢者の石」でお馴染みの人ばかり、ということで頭の整理をすることなくぐぃぐぃとストーリーにひきつけられていく。 ドキドキハラハラするスリリングなシーンが最初からあるのも2作目ならではかもしれない。 読者の頭の中には「今度は2年生での話だから、最初はやはりホグワーツ特急に乗って…」とある程度物語の流れに対してイメージがあるのだが、それをほどよく裏切ってくれるのは心地よい。 ウィーズリー家の生活ぶりを通して、魔法使いの家庭の生活や魔法界について描かれているのもなかなか新鮮である。 作者ローリングの描く魔法界について、新しい発見の連続だ。 「〜賢者の石」で描かれた魔法界は、ホグワーツ魔法学校とダイアゴン横丁だけだったのだが、2作目では一般家庭や魔法省なるお役所のことにも触れられている。

ホグワーツでの生活も2年目となると慣れてきたもの…とはいかない。 ハリーの新たな悩みのタネは、やたら親しげにしてくる新任のロックハート先生とハリー・ファンの追っかけの新入生。 いじめっこのドラコも健在だ。今度はクィディッチで勝負となる。 クィディッチといえば、ほうきの最新ブランドが「ニンバス2001」になっているところが面白い。

そして新たな事件が起こる。 事件は謎めいていて、解明されないまま日は過ぎ、さらに悪いことにはハリーは悪者扱いされてしまうのだ。 汚名をはらすため、ハリーは事件の謎に挑戦する。 ここでも頼りになるのは、親友のロンとハーマイオニー。 先生の目を盗んで、他の生徒を欺いて、次から次へといろいろやってのけるのには、「〜賢者の石」のドラゴンの一件のときより、ハラハラドキドキさせられる。 ハラハラさせられるわりには、なかなか謎の核心に近付いていかないのがもどかしい。 「〜賢者の石」の時は、少しずつだがストレートに謎が明らかになっていったが、「〜秘密の部屋」ではだいぶ回り道をしているような気がする。

また、大人たちの暗躍(といっていいのかどうか…)も新たな要素だ。 ロンの父親を始めとする魔法省の関係者や、ドラコの父親が頻繁に物語に登場する。

謎に次ぐ謎で、行き詰まったかと思わせたところで、事件の謎が解け始め、やがて、敵との対決を迎える。 対決後も気が抜けない。残った謎もすべて明らかになり、物語は終る。 物語の粗い筋は1作目と似たようなものなのだが、切口を変えて語ることによって、まったく読者を飽きさせない。

良い意味で、読者の期待を裏切るストーリーテラーとして作者の才能はなかなかのものだ。

ハリー・ポッターを知ったのはいつ頃だっただろうか。 訳本の発売が 1999年暮れ。 その頃既に英国では大ベストセラーで、日本では最初からそれなりに宣伝していたのだと思う。 はっきり記憶はしていないが、2000年の前半にはその噂は私の耳にも入っていた。 「大人も楽しめるファンタジー」…そんな触れ込みだったと思う。

子供の頃、魔法使いや魔女が出てくる児童向けファンタジーは手あたり次第読んでいた。 「ハリー・ポッターと賢者の石」がベストセラーになっている、という噂を知ったとき、読みたい!という気持と、読んでがっかりしたくないという気持ちが半々。 …というのは、ファンタジーに限らないが、どーも最近の話題の本や評判の良い本にはがっかりさせられることが多いからだ。 そんなわけで、すぐには手にとらず読むこともなかった。 重い腰を上げてようやく購入に至ったのが噂を知ってから数ヵ月たった夏の頃(もちろん訳本)。 しかし、相手はハードカバーであるうえに、厚みもなかなか。 本を読むこと自体は全く苦にならないが、この本を持ち歩くのは「苦」だ。 とはいえ、電車の中くらいしか読書の時間はとれない。

子供のころは、ハードカバーの厚い本を持つのも平気だったし、本を読む時間がない、なんてことはなかった。 あの頃は良かった…。
そんなわけで、ようやく読む機会が訪れたのは、9月に入ってからだったと思う。 通院の待ち時間を利用して読むことにした。 (この通院も延ばしに延ばした挙げ句、やっと行くことにしたというおまけつき。) 病院、それも大きくなれば大きくなるほど待たされるもので、本を読むには絶好の時間だ。

ページをめくると、最初から、マント(ローブ)姿の魔法使いが出て来て、ワクワクさせられる。 とはいっても、カタカナの固有名詞が多いのと、なかなか物語の核心に入っていかないので、読みにくい一面もあった。 それでも、病院での待ち時間を利用して読んでいたため、他にすることもなく、前半を読み進めていった。 最初にびっくりしたのは、いじめっ子ダドリーの描写だ。 最近書かれた本で、いくらいじめっ子とはいえ、ここまでひどく悪く書いたものがあるだろうか。 最近の、特に子供向けのお話は、寝た子を起こさない主義なのか、平和博愛主義なのか、良いヤツと悪いヤツをはっきりかき分けているものが少ないように思う。 昔話や外国の童話でも、残酷なシーンはソフトに書き換えられているのが常だ。 放送禁止用語や「ちびくろサンボ」絶版騒動についても似たようなことが言えると思うが、ことなかれ主義もいきすぎると本質を見失ってしまうように思う。 とにかく、これだけ悪く書いてくれると、逆にスカッとした気持ちになれる。 いじめっ子が存在することにより、親がいない、という以上にハリーの境遇は不幸になる。 この辺りは、「小公女」「小公子」「家なき子」「家なき少女(ペリーヌ物語)」でも押えている基本だ。 「ハイジ」、「フランダースの犬」のネロ、「赤毛のアン」、「あしながおじさん」のジュディ…、みんな親を失っている。 「オリバー・ツイスト」だってそうだ。 「母をたずねて三千里」のマルコは孤児ではないが、いなくなった母親を捜して一人旅をする。

映画ではいじめられている描写が、原作本よりかなりソフトだったように思う。 その為か、動物園の爬虫類館でいじめっ子のダドリーが蛇の方に落ちてしまうシーンでハリーが笑うのが残酷だ、という声があるようだ。 しかし、ダドリーのいじめぶりやダーズリー家での扱われ方を考えると、あのシーンでニコっとするくらい いいではないかと思う。

いじめの元凶のダーズリー一家は、物語の前半でひとまず姿を消す。 物語の舞台がホグワーツ魔法学校に移るからだ。 いじめの質はだいぶ違うのだが、またまたいじめっ子ドラコ・マルフォイが活躍する。 後で仲良しになるハーマイオニーですら、最初は敵か仲間かよくわからない存在だ。 そして、怪しげな先生も何人か登場…。 この辺りもカタカナの固有名詞や呪文のオンパレードなので、なかなか読んでいて辛いところかもしれない。 が、「賢者の石」のミステリーに突入するのだ。 謎が謎を呼び始めると、止まらない。 一字一句読んでいるのがもどかしく、読み飛ばしてしまうくらいの勢いで読んでしまう。 が、どの一字一句に謎のヒントが隠されているかわからない。 この辺りまで読み進めると、止まらないのではないだろうか。 何もかもほったらかして読むしかない。 実際も私もそれに近い状態だった。

スネイプ先生はあからさまに怪しい。 こういうあからさまに怪しい人物は絶対に犯人ではないのが、物語の常だが、それにしても理由もなく怪しいわけはない。 その辺もきちんと説明してもらわないと収まらない。 実際きちんと説明されてしまうのだが、その謎解きは鮮やか。 本当に最後の最後までミステリーの謎の緊張の糸が解けないのは凄いと思う。 謎が明らかになるまで油断はできないのだ。

一日で読み終ってしまった。 何も難しいことを考えずに素直に楽しめる作品(本)に出会ったのは久しぶりだった。 ストーリーの骨格はおそろしく古典的だと思う。 だからこそセオリー通りで面白い。 「どこかで読んだような設定」という批判もあるようだが、だからと言って、盗作というわけではない。 読み継がれている作品、指示される作品にはどこかしら類似性があるものだ。 どことなく流れるクラシカルな雰囲気も魅力の一つだろう。 物語の舞台は時間的には現代だが、並行する魔法界は、中世…そこまでいかなくても前世紀的な雰囲気だ。 しかも学校はお城。 「古き良き時代」に憧れる気持をうまくくすぐる。 (実際には、現代の方が暮らしやすいのだろうけど。) 善と悪がはっきりしていて、双方が闘うというわかりやすい構図。 しかも悪は善から分かれて悪になったという…まるで「スター・ウォーズ」のダースベイダー?(笑) 実世界において戦争は歓迎されるものではないが、 物語の世界においては、戦いは読者に歓迎される。物語だからこそだ。 ファンタジーだからこそだ。

セオリー通りで古典的なだけではない。 魔法使いの箒に「ニンバス2000」といったようなブランドや最新型があるのが面白い。 うまく現代人の心をくすぐっていると思う。 また、ハリーの学校生活はマグル界(人間界)での学校生活に通じるものがある。 英国人が読めば、とても身近なものに感じられるのだろうし、英国以外の外国人には、一種のあこがれのように映るのではないだろうか。 私の想像だが…。

そして、ミステリー…謎解きの要素がとてもよくできていると思う。 推理小説的な楽しみ方ができるのが大きな魅力な上に、読者の想像の裏切り方は鮮やかだ。 もちろん、魔法の世界でのことを描いているので、推理小説のように謎解きの材料がすべて読者に与えられているとはいえないのだが。それでも、伏線といえる描写はあちこちにちりばめられている。

映画、本、共通で言われていることだが、主人公ハリーのヒーロー性が乏しく感情移入しにくいという意見がある。 これにはなかなか反論しにくいものがある。 映画では、魅力的な子役の起用と演出(演技より雰囲気)でカバーしたが…。

確かにハリーは努力家というタイプではない。 生まれながらにして優れた魔法使いの資質を持っているがために、ハリーが努力する以前に箒を乗りこなしてしまい、クィディッチのシーカーの座を得て活躍する。 いじめという意味では苦労しているが、それ以外では人一倍苦労したり努力しているとは言い難い。 最後の戦いも、意外にあっさりと勝利してしまう。 …というか相手が勝手に負けた、というべきか。 未知のものに向かう好奇心というのは、なかなかのものだが、ハリー特有の資質ではないだろう。 一方、ネビルの思い出し玉をいじめっ子ドラコから取り返そうとする正義感があるが、その正義感はどこで培ったものだろうか。 ハリーの境遇から考えて、理不尽ないじめは許せないのかもしれないが、あそこまでまっすぐ素直に育つかどうか少々疑問を感じなくもない。

非常に私的にヒットした作品だった。 他人の好みはわからないが、とても面白いし、巷の話題作なので、読後、すぐに他の人にも勧めた。 が、反応が鈍く、布教は挫折。 その後、映画公開で布教するまでもなくさらなるブームがやってくる。

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