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「ポッタリアン情報局」分室。 今後はこちらを中心に更新していきます。 原書購読奮闘記のログ、コメント、その他のコンテンツも順次こちらに移行する予定です。 各記事にコメントをつけられますので、ぜひ、どうぞ。 お待ちしております。
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映画「〜秘密の部屋」の感想で、『とにかく息つく暇もない程の展開に長尺を感じさせないのは立派。』と書いた。 それはそのままこの映画「〜アズカバンの囚人」にもあてはまる。 今回は、最初からジェットコースターのような早い展開だ。 大胆に原作のエピソードを切り刻んでつなぎ合わせている。

ストーリーの流れが原作通りではない、という熱心なファンの不満は、製作する側はもはや受け入れることはできないだろう。 少しずつではあるが、1作目、2作目、3作目とだんだん長くなっているのだから。 私としても、ストーリーの流れが原作通りではないことについてどうこう言うつもりはない。 むしろ、短くまとめるためにどう継ぎ接ぎするのかに興味があり、うまくまとめていると思った。 が、全体的に、特に前半、まるでダイジェスト版を見ているような印象ではあった。 「〜秘密の部屋」の感想(言いたい放題)では、『どの場面も予告編や事前に流出したプロモ写真などで観たものばかり、という印象。』と書いたが、今回もそんな印象である。 事前に流出している情報を、積極的に見ないようにはしていたので、狼人間のシーンなど、意外性というか新鮮さをを感じる場面ももちろんあった。 タイム・トラベルの場面は、映像表現の面白さを満喫した。 (Back to the Future を思い出してしまった。)

テーマ

映画1,2作目は、映画としてわかりやすく勧善懲悪のヒーロー物語としてまとめたと言える。 が、ヒーロー物語、と言ってしまうには主人公ハリーのヒーロー性は弱い。 ラスボスとの戦いを自らの力のみで切り抜けたとは言い切れない。 それ故、その点において酷評を受けることになった。 では、原作もヒーロー物語だったのだろうか?

私は、原作を読んだとき、1〜3作目までは同じような系統の物語ととらえていた。 それもそのはず、エンターテイメントなヒーロー物語ではなく、どちらかと言えばミステリーだと感じていたからだ。 しかし、米資本のファミリー向け映画をミステリー仕立ての映画にはできないだろう。 見る方も、マジカルな世界をCGでどう見せてくれるか、ということを期待している。 懲悪のヒーロー物語として映画をまとめたのは当然のことだろう。

3作目「〜アズカバンの囚人」は明らかにヒーロー不在でラスボス戦の無い物語である。 シリーズを通して、唯一、ハリーの宿敵であるヴォルデモートが出てこない物語らしい。 では、ミステリー映画にしてしまうか? それではファミリー向け映画にはならない。

主人公ハリー自身の成長物語という位置づけになったのは必然の結果なのだろう。 ラスボス戦とはいえないが、今回、ハリーはディメンターの脅威をみごとにほぼ自力で切り抜けることに成功する。 ヒーロー性のないヒーローが初めてヒーローらしい活躍をするのだ。 とはいえ、本来アズカバンの囚人となるべきだったスキャバーズことワームテイルことピーター・ペティグリューは逃してしまう。 嫌疑をかけられアズカバンの衆人となっていたシリウス・ブラックが敵でないことはわかったが、わかっただけで、魔法界一般的には彼が追われる身であることは変わらない。 つまり(魔法界の)世間的には何も解決していない。 これではいくらヒーロー的活躍をしてくれてもヒーロー物語というには弱いだろう。

ストーリー

ハリー自身の成長をストーリーの根幹としたとき、果たしてそれが効果的に描かれていたか、というと疑問が残る。 ハリーの気持ちの揺れ、恐怖、怒りなどをもっともっと描き出すべきではなかったのだろうか。 ハリーのヒーロー的活躍といっても、結局は呪文を唱えるだけ。 しかし、その魔法を使うのが実は難しい、のがハリーの魔法界。 正しく呪文を唱えれば魔法OKというわけではなく、パトローナス・チャームの習得は困難だったはずだが、 映画ではあっさりしている。 あれでは、あまり努力とか苦労が伝わってこない。 しょせん、魔法の話、ファンタジー、と言われてしまうだけ。

「怪物的な怪物の本」の奇怪さを描くことに時間をかけるより、映画として、もっと重要なことがあったように思う。 さらに言えば、マージおばさんが膨らむシーン、果たして必要だったのだろうか? ナイト・バスの暴走シーン、果たして必要だったのだろうか?

ハリーは無意識のうちに魔法を使ってしまい、マージおばさんを膨らませてしまった。 が、その因果関係がはっきり描けていただろうか? ハリーの怒りでマージおばさんは膨らみ始める。 膨らみ始めたマージおばさんを見て、ハリーは「ざまぁみろ」と思っているのだろうか? 「しまった!」と思っているのだろうか? 「何とかとめなきゃ」と思っているのだろうか? きっと、複数の感情が複雑に入り乱れているはずである。 そして発作的に家出してしまうのだが、かなり唐突な感じがした。 なぜ、ハリーは家出しようと思ったのか、そして家出してしまったのか、 きっと原作を読んでいない人には理解しにくかったのではないだろうか。 そしてその複雑な気持ちこそ、今回の映画で描きたかったものではないのか?

横道にそれるが、騒動に巻き込まれるダーズリー家の人々は好演だった。 あのわずかな場面の中で、ダドリーの間抜けぶりがみごとに詰め込まれているのには感動。

次にナイト・バス。 ナイト・バスそのものは、コミカル&マジカル担当だが、それに乗るハリーの気持ちは重い。 原作では、ハリーが名乗るとき思わずネビルの名前が口に出る。 それが端的にハリーの重い気持ちを表していると思うのだが、映画では省略されてしまった。 ここでハリーが抱えている様々な不安、それこそ今回の映画で描きたいものではなかったのか?

ホグワーツの学校生活も光陰矢のごとしで進んでいく。 占い学のトレローニー先生は、原作では印象が強くストーリーに欠かせない人物というイメージが残っていたが、映画では果たしてそうだっただろうか? 原作ではまず最初の授業で「死の予言」をするのが強烈だ。 マクゴナガル先生にすぐ否定されるのだが、それでも読者の印象に残る。 ハリーの紅茶の葉占いでグリム(黒犬)が出ていたり、ハリーの目の前でトレローニー先生が意味不明の予言めいたことを言ったりする。 重要な伏線ではあるが、映画の観客に果たしてどれだけアピール度があっただろうか。 おもいきって省略してもいいのではないかと思われるくらいの駆け足だ。 肝心の預言の場面もエフェクトに頼った演出なのはいまいち。 演技力で見せて欲しかった。

もちろん、どういう風に映像化されるか期待していたファンが多いと思うので、 (もちろん私もその一人だ) もしこれらのシーンがカットされたら批難轟々の嵐ではなかったかと思う。 魔法の映像化としてはとても面白かったし、観客を映画に引き込む効果があることは認めよう。 が、その裏にあるハリーの感情があまり描けていなかったように思うのだ。 それとも子役にそこまで細かな感情の表現を演技としてい要求するのは酷なのか?

トレローニー先生については、 たとえ「〜アズカバンの囚人」で省略したとしても、シリーズ全体から見ると、 削ってしまうことは危険なのかもしれない。 原作者のローリングさんは、今後の(未発表の)ストーリーにつながる伏線がこの映画に含まれている、 と言ったらしい。

クライマックスに突入してからも、ハリーには葛藤があったはずなのだが、 スピード進行で物語は進んでいく。 せめてこのクライマックスはもっとじっくりと描いても…、いやむしろ、 このクライマックスをじっくり描くために前半をもっと端折っても良かったのではないか、 と感じた。 特にシリウスがハリーに名付け親として保護者になろう、と話す場面。 あまりに唐突すぎではないだろうか。 とってつけたような。

とはいえ、かなり大胆に端折られてはいるのだが。 それでも、製作側の原作ファンに対する遠慮が見えてしまう端折られ方、と言わざるを得ない。

映像

CGの安っぽさを感じてしまう場面がいくつかあった。 力が入っているシーンとそうでないシーンに差があったような…。

それから、ハグリッドを大きく見せるためのトリッキーな撮影方法。 あまりにもミエミエでぜんぜんトリッキーでない(笑)。 前2作が自然だっただけに、大きく見せようとミエミエな撮影をしているのが かえってきになってしまった。

さて、変身シーン。 これは力が入っていた。 ツルツルの狼人間はわざとそうしたようだが…。 ネズミの方はといえば、ネズミからペティグリューに戻ったとき、服を着ていた。 (「〜賢者の石」でマクゴナガル先生が猫から人間の姿の戻ったときももちろん服あり) ところが、ペティグリューからネズミのなって逃げる時、服を置いて去って行ったのは…どういうこと!?

ところでバックビークに乗ったハリーが、湖の上で腕を広げるシーン、←タイタニックごっこしているんじゃないんだから(笑) きっと同じことを思った人が何人もいるに違いない…。 でもこのバックビークのCGは良くできていると思う。

美術と音楽

(なんか教科名みたいですが) ホグワーツの雰囲気がだいぶ変わりました。 なんか違う…でもやっぱりホグワーツ。 ホグワーツは広いのでこんな場所もあったのだろう、ということでだいたいが受け入れられる。 渡り廊下など、前作までとは傾向の違うクラシックな雰囲気は音楽とマッチしていて良かった。 前回までが荘厳な雰囲気だとすれば、今回は素朴。

一方、かなりの違和感を感じる所もある。 「暴れ柳」の植わっている場所は明らかに違うし、ハグリッドの小屋の周囲の風景もまったく違う。 これに関しては前作までを見ている多くの人が感じるはず。 タイムトラベルの中心の場所となるので、この方が都合が良かったのかもしれないが、 もう少し違和感を感じさせない工夫が欲しかった。

グリフィンドールの談話室の入り口が、階段室からに変更されたのも、前作と違う、というだけでなく 原作の話とも違うという意味でかなり違和感。 どこの寮も入り口は、他の寮の生徒が知らないくらいわかりにくいところにあるはず。 それなのに、あんな目立つところにある、というのは…。 確かに、他の肖像画に隠れる「太った婦人」を描写するには、あそこは最適の場所なのかもしれないが。

レゴの「アズカバンの囚人」シリーズで「ホグワーツ城」がリニューアルされたのだが、 その新しいバージョンを見たとき、ホグワーツにこんな時計台なんてあったけ?と思った。 実際にレゴを組み立ててみたとき、きっとこれはレゴの時計(というか振り子)のギミックを商品化するための デザインだと思った。 ところが、ところが、 レゴは実に忠実に映画「〜アズカバンの囚人」の中のホグワーツを再現していたのに感動。

人物

やはり今回の新たなキーパーソンは、シリウス・ブラック。 が、もうちょっとルーピン先生を丁寧に扱っても良かったのではないか。 ハリーの過去、ハリーの両親の過去を解き明かしていく上で、ルーピン先生の役割は大きい。 …なのに、いまひとつ存在感に欠ける。 そう思ったのは私だけだろうか。

映画を観ても、ルーピン先生のイメージ、ちょっと違うんじゃない、という印象はかわらなかった。 私が持っていたイメージと違う、というだけなのだが。 私の持っていたイメージというのはもっと貧相な感じ。 頬がこけているくらいでないと…。 映画のルーピン先生は温厚そうな雰囲気が良く出ていて、 それがルーピンの人柄を良く表していたとは思うのだが…。

ところで、ゴイル。 いつもクラッブとセットでないといけないのに(笑)、今回の映画では、 クラッブがいてもゴイルの姿が見えないときもチラホラ。 代わりに別のキャストがドラコの取り巻きにいたが、やはりクラッブとゴイルでないと…ね。

そのドラコの取り巻きにわりとかわいい感じの濃い色の髪の女の子がいたのだが、 パンジー・パーキンソンということなのだろうか。それ、原作と違いすぎ。 吹き替えの声は小桜エツ子さんだったような…あれ?声に子役使っていない…?!

今回のドラコはかなり情けない役。 まぁ原作でもそうなんですが、純血のプリンスを気取っている、という感じではなくなってしまった。

丸顔だったネビルが、背も高くて細くなってしまって! シェーマスもトーマスもかなり雰囲気が変わってきましたね。 シェーマスの方がネビルより丸顔?

エンディング

エンディングになるまで、「ファイアボルト」がそれまで出てきていなかったことを忘れていた。 「ファイアボルト」がなくてもストーリーは成り立ってしまうのか、という事実に少々驚くとともに、 最後にこのように見せたやり方は非常に上手い、と思った。

エンディングのクレジット・ロールも、このような見せ方をすると面白い。 ただ、子供にはやっぱり退屈なのではないかと思う。 どうしても時間が長くなるから。 ラストの「いたずら完了」はよめてしまったし。 「忍びの地図」が欲しくなった。(笑)

おまけ:映画「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」は8月7日までで興行収入100億円の大台を突破し、日本映画興行界史上初めてシリーズ3作連続での100億円突破となったそうだ。

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