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「ポッタリアン情報局」分室。 今後はこちらを中心に更新していきます。 原書購読奮闘記のログ、コメント、その他のコンテンツも順次こちらに移行する予定です。 各記事にコメントをつけられますので、ぜひ、どうぞ。 お待ちしております。
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映画の前に

今更、説明するまでもないと思うが、一言で言うのならば「魔法使いの男の子の話」。 既に原作は大ベストセラー。 口コミだけでこれだけヒットするわけはないので、 ヒットするよう仕掛けた人がいるのは間違いないが、非常に面白い話であることは確か。 私は映画公開の前に読んだ。

「はてしない物語」ではないけれど、近頃の読み物には、ファンタジーが少なくなっている、と感じる。 これを語りだすと長くなるのでやめておくが、この「ハリー・ポッター」には何も考えずに空想の世界に入り込めるファンタジーがあった。 念のため断っておくが、「はてしない物語」も「ハリー・ポッター」も、同じ『ファンタジー』に分類されるのだろうが、まったく別の種類の物語である。

ダイアゴン横丁、ホグワーツ行きの特急列車、ホグワーツ城…。 クラシカルな雰囲気の流れるヨーロッパの街を思わせる。 さらにそこは現実離れした魔法の世界。これぞファンタジー。 そして、登場人物の描き方。 主人公のハリーは可哀想な子供である。 可哀想な子供にはそれをいじめているヤツが必ずいる。 今時の児童書で、こんなはっきりいじめを書いてしまっていいのかと思うくらい徹底的にいじめられている。しかもソイツは醜く太っている。 今時の児童書で、そんな設定が許されるのかと思うくらい、ヤな奴は徹底的に悪くひどく書かれる。 良い人、悪い人の書き方がこれだけあからさまなのは、ちょっと昔に書かれた話やそれこそ昔話では当たり前だが、最近作られた話では珍しいのではないだろうか。 もちろん、悪い人が最後まで本当の悪人かどうかわからないというドンデン返しもあるのだが…。 そして、説教くさいことや教訓めいたことは何ひとつ書かれていない。 スカーっと楽しめる。 魔法の言葉やカタカナのオンパレードに、いろいろ伏線があるので、多少、とっつきにくく、話が長いことが難点か。 話が長いことは苦にならない人も多いと思うが。 一方、物語になんらメッセージ性が無いことを理由に、 この話を批判する人がいるようだ。「読むテレビゲーム」だと。 それならそれでいいではないかと思う。 娯楽としてのテレビゲームがあるのならば、娯楽としての読書があってもいいではないか。

映画

いい加減、映画の話に行こう。 監督クリス・コロンバスの前作(「ミセス・ダウト」「ホーム・アローン」)は好きな作品、ということで、わりと期待していたのだが、可もなく、不可もなく、といったところだろうか。 原作のイメージや雰囲気を壊さない、といった面では評価できるが、逆に、盛り上がりに今一つ欠ける展開になってしまったように思う。 英国の辛口評では、「原作の持つ、どこか重い雰囲気が失われている」「クリスマスのお子様向け映画」などあるそうだ。 日本では、本(訳書)にしても映画にしてもやたらと大人に向けてアピールしているように思えるが、しょせん「お子様向け」というのは当たらずと言えども遠からずだろう。 しかし、大人が童心に帰ってスカーッと楽しめるお子様向けエンターテイメントって、本当に良質なものでないとならないし、大人向けより作るのが難しい(技術的にでなく、内容的に)のではないだろうか。 『子供だまし』と『お子様向け』は違う。

映像と音響

別の監督が起用された場合、物語の舞台をロンドンからアメリカに移す、という案もあったようで、それを考えると、百倍ましと言えるだろう…。 これは、私の好みかもしれないが、原作にただようクラシカルなヨーロッパの雰囲気、イギリス的な雰囲気というのは、何ともいえない魅力である。 映画では、ぜひ、イギリスの町並み、クラシカルなヨーロッパ的な魔法の世界を映像で表現して欲しかった。 監督のこだわりの結果、撮影はすべてロンドンで行われたそうで、その点については大いに評価したい。

ホグワーツ城は圧巻だった。特に、大広間。申し分ない。 (と、思ったら、これはオックスフォード大学でのロケだとか。納得。) 階段室の上下の空間的な広がりというか高さというのもなかなか。 ディズニーランドのホーンテッドマンションっぽくなってしまうのはしょうがないだろう…(苦笑)。 私もそんなイメージを少なからず持っていた。 …に比べ、冒頭のマグル(人間)の町であるプリペット通りは、セットっぽさが残っていて残念。 ゴミどころかチリ一つ落ちていないような感じだ。 魔法世界の映像表現の方に力を入れたかったのはわかるが、冒頭の部分は観客の心をつかまなくてはいけないところ。そこでいかにも嘘っぽい映像を見せられては幻滅してしまう。 いろいろな意味でもっと丁寧に撮って欲しかった。 ホグワーツ城の城内は良かったのだが、外の映像、特にクィディッチ競技場は、あまりにも CG っぽさが残っていてがっかり。 TVゲーム的に見せようとわざとそうしているのではないかと思うくらい。 透明マントの雰囲気は良く出ていたと思う。 消してしまう処理というのは、今の技術をもってすれば、そう難しいことではないのだろうが、透明マントの中にすっぽり入った中からの雰囲気も良く出ていた。 森の中のシーンのユニコーンとかケンタウルスは、あれでは原作を読んでいないと わかりにくいのではないだろうか。 明度を押えた色調は雰囲気が出ていたが、絵的な表現が良かったとしても、 あの辺りはストーリーをはしょりすぎているように思う。

次作は既にコロンバス監督の下で撮影中らしいが、 3作目あるいは4作目以降、スピルバーグが手を出すかも、という噂も聞こえてきている。 特撮処理にはそちらの方が期待できる。 原作に忠実に映画化する以上、映画で何をアピールするかといえば、映像表現に力を入れるくらいしか残されていないのでは? ゼメキス(「Back To The Future シリーズ」「フォレスト・ガンプ」の監督)でも、なかなか良い絵を撮るのではないだろうか。

私が良く撮れている、と思ったシーンは、後で知ったことだがほとんどがロケシーン。 CGを含めた特撮処理はまだ向上の余地があると思う。 監督が替われば、特撮映像が良くなる、というものでもないだろうが…。

最初に見た映画館では、サラウンド効果がわざとらしく耳についたが、次に別の映画館で見たときは気を抜いて見ていたせいかそうでもなかった。 これは映画館のせいかもしれない。

人物

次に人物の描き方。 生身の役者、しかも子役も演じるわけだから、原作でひどく書かれている人物もそうひどく描かれないだろう、というのは予想通り。 これは仕方ないというか当然というか…。 主人公のハリーにしても、原作では、少なくとも外見は、もう少しヒョロヒョロしたさえない男の子のように描かれていたように思うが、そこは映画の主役、とってもこざっぱりした可愛い男の子になってしまった。 これも仕方ないというか当然というか…。 可愛い子役、魅力的な子役を、という点は、コロンバス監督の手腕かもしれない。 これはこれで一つの成功だと思う。

個人的にイメージに一番ギャップがあったのが、スネイプ先生。 もっとせせこましい感じでやせこけているイメージを描いていた。 スネイプ先生に限らず、どの役者さんもそれなりに風格がある人ばかり。 重々しいセリフでは、むしろカッコイイ。 これも当然というか…。 マクゴナガル先生については、実は、もっと若々しいイメージを持っていた。 でもそれは私の勝手な思い込みだったかもしれない。 それが悪いというわけではないが、 人物描写に関しては、 演じる役者にひっぱられてしまった面がなきにしもあらずだと思う。 それもまた、別の見方をすれば映画としての魅力だ。

ストーリー

あれだけの長編を2時間強の映画に詰め込むには少々無理があったように思う。 とにかく、ストーリーがポンポン進む。 もっと時間を使って描けば、このシーンはもっと面白くなるはず、といった場面でも情け容赦なく話は展開してしまう。 個人的に楽しみにしていたのが、ハリーとダーズリー一家が手紙に追われて逃げるシーンだ。 読んでいてとても面白いシーンだったので、どんな映像表現で見せてくれるのかと期待していたが、あっさりカットされていた。 ダーズリーの家からいきなり海の孤島では、映画で初めて見る人にはわかりにくいのではないだろうか。 時間の制約でカットするならば、多少原作を曲げてでも別の演出にした方が良かったように思う。 例えば、ハグリッドがいきなりダーズリーの家に踏み込んで来てもいいのではないだろうか。

ストーリー展開の速さだけが問題ではない。 各登場人物の描き方、その関係も浅くなる。 ハーマイオニーは鼻持ちならない秀才ぶった女の子で、その子とだんだんと仲良しになっていく過程というのがなかなか面白いのだが、 その辺りはさらっと流してしまっている。 キーパーソンのクィレル先生についても、描き方が足りないように思う。 もっとも、映画だと、観る側が謎解きを考える暇はないのかもしれない。 この作品だけで姿を消すクィレル先生より、後々につながる鍵を持っていそうなスネイプ先生の描き方の方が丁寧になるのはしょうがないのかもしれない…。 が、映画「賢者の石」を独立した一作品として見たとき、やはり完成度は劣る。 最初から2作目以降のことを考えて作っている上に、原作を大切にするあまり、起伏の少ない展開になってしまった。

「賢者の石」「ヴォルデモート」にまつわる謎解きだけが物語の要素ではない。 それだけを考えて映画化するのだったらもっと簡単だっただろう。 …が、ハリーの生い立ちからホグワーツに入学するまで、そして1年生としてのホグワーツの1年間というのも物語の大切な要素である。 ホグワーツには組(寮)対抗の点取り競争や、クィディッチというスポーツの大会があるのだ。 さらに、伏線だらけときている。 何が、2作目以降の伏線になっているかわからない。 (日本語訳は3巻まで、英語原書も4巻までしか出版されていないので、 最後の7巻まで睨んだ作り方は、いずれにせよ、できない。) 組分け → 寮対抗点取り争い なんていうのは、物語の本筋と並行して繰り広げられるサイドストーリーとしてなかなか面白いのだが、映画ではその辺りが非常にわかりにくかったように思う。 ハリーがスリザリンに組分けされることを嫌うのも露骨だ。 あれではまるで、スリザリンが悪い組(寮)みたいに思えるのではないだろうか。 各組(寮)の性格は単純に、良い、悪いとレッテルをはれるほど単純ではない。 また、最後、逆転してハリーの属するグリフィンドールが勝つのも、あの映像表現ではあんまりではないだろうか。 とはいえ、あれは、原作に忠実に映像にしているだけである。 やはり、映画では、寮対抗の点取り争いについての描き込みが足りない分、最後の印象が本を読んだときとは異なってくるのだろう。 『原作に忠実に』が足枷になって、いまひとつ盛り上がりに欠けるものとなってしまったことは否めない。 逆に『忠実だった』ので、原作ファンの批判は受けずにすむだろう。

日本語訳

忠実、といえば、字幕が日本語の訳書の言葉に忠実だったことも特筆すべきだろう。 字幕監修に、訳者の松岡佑子さんがクレジットされているから当然といえば当然。 字幕の限られた文字数の限界というのはどうしても感じたが、字幕翻訳はベテランの戸田奈津子さん。

「3rd floor」はイギリス語では「3階」でなく「4階」のはず、という突っ込みがあるようだが、それで映画のストーリーに支障があるわけでもなし、許容範囲ではないだろうか。

それよりも、ハリーのお母さんのリリーはペチュニアおばさんの「妹」ではなく「姉」 であるのが正しいそうなので、修正して改版した翻訳本を出して欲しいものである。

吹替え版を見てわかったことは、私が、映画の英語をほとんど聞き取れていないということ。 もともと字幕は、1/3ほどしか訳せないと言われているが、その字幕を読んで、映像を見て…では、映画の内容を半分くらいしか理解できなくても不思議はない。 はしょりすぎ、と思ったストーリーも、吹替え版から察するに、字幕版を見たときの印象よりは はしょられていないことに気が付いた。 (ちょっとショック) セリフのすみずみまで無駄や遊びがいっさい無いということなのだが、これだけ詰め込んでいる映画はなかなかないかもしれない。 それだけに、何度観ても新しい発見があったりする。 (看板まで読み上げてしまうナレーションは悪評だが、小学低学年以下の子供にも見てもらおうと思うとしょうがないかもしれない。) 吹替えている声優さんはうまい人ばかり。 でも、役ヅクリは浅いように思った。 私は、字幕版も既に見ているし、TV の特番での出演者へのインタビューで元の声を聞いているので、違和感を感じる声もあった。 ハリーやロンの声は、ちょっと可愛すぎるというか幼すぎるように思った。 声変りの時期なので難しいとは思うが、次作以降はどうなるのだろう?

ダンブルドア役を演じていたのは、「サザエさん」の波平役が有名な永井一郎さん。 七色の声のタイプの方ではないので、波平にしか聞こえない、 という声もあるようだが、非常に上手い役者さんだと思う。 ウマイのだが…、果してどれだけダンブルドアという役を理解して演じていたのか首をかしげたくなるものがある。 ダンブルドア役のリチャード・ハリスは、「71歳の私が200歳の役を演じるのは難しい」とインタビューで語っていた。 永井一郎さんの演じるダンブルドアは、残念ながら200歳には聞こえないのだ。 ホグワーツの管理人フィルチを演じていたのは、「まるこちゃん」のおじいちゃん役(2代目)で有名な青野武さん。 こちらも七色の声のタイプの方ではないので、まるちゃんのおじいさんにしか聞こえない、という声もあるようだ。 が、やはりベテランの役者さん。 フィルチの雰囲気が出ていたと思う。 …が、セリフのある場面はわずか。 まるちゃんのおじいさんにしか聞こえない、という意見ももっともかもしれない。 でも永井一郎さんにしても青野武さんにしても、ぴったりのキャスティングだと私は思うのだが。

スネイプ先生がさらに渋い声になっていたのにはびっくり。 ますます最初の私のイメージとかけ離れた感じだ。 しかし、映画で描かれているイメージ、演じているアラン・リックマンの雰囲気からあのような吹替えになるのは必然かもしれない。 クィレル先生のおどおどした感じを「どもり」でなく表現していたが、それはそれで良かったと思う。

吹替え版しか観ない人であれば、私が感じたような違和感や抵抗感もなく 楽しく面白く観られた(聞けた)のだろう。

音楽

ジョン・ウィリアムスの名前を聞いただけで、音楽については安心してしまう。 ワンパターン、どれも同じ、などの批判あるいは非難めいた意見が時々聞こえてくるし、たしかにうなづける部分もあるのだが、だからといって、映画音楽として遜色あるものだとは思わない。 むしろ、効果的な雰囲気を出すのに一役かっている。 音楽がでしゃばったり、音楽だけ浮いているような感じもしない。 良い映画音楽を書く人だと思う。 「スター・ウォーズ」は有名。 「ホーム・アローン」は音楽がクローズアップされて語られることはあまりなかったと思うが、実に効果的な雰囲気を添えて映画を盛り上げていた。 この「ハリー・ポッター」についても、同じメロディが繰り返し、繰り返し流れ、いつの間にか、擦り込まれ、とけこんでいる。

最後に

本を読むのが面倒な人は、映画館に足を運ぶのもいいかもしれない。 文字アレルギーがない人は、本を読んで、自由に想像をふくらます方が、より、楽しめるのではないだろうか。 その点、日本語の訳書は、表紙のイラストに人物が描かれていないのが好感持てる。 米書だったと思うが、ハリーが描かれた表紙絵を見たときは、自分のイメージとのギャップにがっかりした。 …が、グッズがこれだけ出回っている今、そういう楽しみ方にはもしかしたら手遅れかもしれない。 映画化の話を聞いたとき、手放しで喜べなかったのは私だ。 映画で見せられる絵と自分のイメージが違ったら、それはショックだし、二次的著作物である以上、必ずそこに第三者の解釈というものがその作品に加わってしまうからだ。

しかしまぁ、この異常な人気。誰が仕掛けたのやら…。 でも素直に波にのって楽しみたいと思う。 気が早いのは百も承知だが、「秘密の部屋」の前売券も入手済である(笑)。

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